新婚旅行、ギリシャ10日目はアテネを去る日。
ギリシャは長らく訪れたかった国でした。
高校時代の恩師が新婚旅行にススメていたサントリーニはもちろんのこと、大学時代に西洋史の講義で、必ずギリシャの地図を黒板に描くことから始める教授がおりました。
講義開始から10分くらいは黒板に向かって、黙々とギリシャの地図を描くのです。
古代史が専門のその教授も研究でアテネに暮らしたことがあったとも聞きました。
その地図の板書を私もいつもノートに描き写していました。
だからか私もいつの日かギリシャに行ってみたくて仕方がなかったのです。
一方でギリシャへの旅は文字が読めないことと、料理が美味しいかどうかという心配もありました。
いい意味で裏切られました。
さすが観光立国なのでアルファベット表記も充実していて問題なかったし、料理もこの上なく美味しかったです。
一応ギリシャ文字の予習はしていきましたよ。
ギリシャで感じたことが一つありました。
失礼を承知で言います。
ギリシャ人の後ろ姿を観察していると、他の西洋人より腰の位置が低いと感じました。
要するに脚が短め。
地理的にはヨーロッパという括りでも、その中で暮らしている人々は人種的にはトルコなどアジア系に近いのだろうな、と思いました。
オスマントルコに支配されていた時代も長かったので当然のことです。
旅をしているとそうした歴史を肌で感じることができるのが面白いと思います。
ウィーンに到着、カフェと観覧車とホイリゲ
この日はオリンピック航空の正午の便でウィーンに向かいます。
1時間半ほどでウィーンに到着。
2度目のウィーンもちょっと贅沢に、中心部に立地するそこそこ老舗の4つ星ホテルを予約していました。
古いけれど雰囲気があるところでした。
シュテファン大聖堂などを観光して、カフェ・ツェントラルで一休み。


ウィーンは音楽に溢れた街。
カフェに入れば、ウィンナワルツなどのピアノの生演奏があり、優雅な気分に浸れます。
単純だけれど、それだけで幸せな気分になったりするものです。
夜は「第三の男」で有名なプラーター遊園地で大観覧車に乗りました。

すご〜く大きなゴンドラで、結構な人数での相乗りです。
10人くらいはいました。
そしていちいち観覧車が止まるので何かな?と思っていると、別のゴンドラでディナーが行われていて、そちらでお料理が給仕されるたびに観覧車が止まるのです。
しかもいくつかのゴンドラでディナーが行われているので、止まる率が高い!
ちょっと揺れる空中レストランでディナーとはステキです。
それからハイリゲンシュタットに向かい、適当なホイリゲをハシゴしてきました。

ウィーンの旅の宿題
翌日はまたウィーン散策とオペラ鑑賞。
朝食はホテルザッハーでザッハトルテを頂きました♪
たまたま見かけたアエロフロート航空のオフィスに、「行きの便が遅れたのでホテル代が1泊ムダになった、補償してくれるのか」とクレームを付けに行ってみました。
するとベテランっぽい女性スタッフに「なぜ1週間以上前のことを今さら?その時に言えばいいのに」という感じであしらわれたので、口惜しながらも引き下がることにしました。
この件は日本での宿題です。
今回ウィーンを訪れたのにはもう一つ理由がありました。
ウィーンに友人を訪ねた時(ユーロ流通前)のオーストリアシリング硬貨が手元に残っており、それをユーロ硬貨に交換してもらうためでした。
これはオーストリア中央銀行でしかできないのです。
以前乗り継ぎでウィーン空港を利用した時、両替所で交換をお願いしたところ中央銀行でしかできないと言われていました。
コインをコレクションする趣味はないので、今回の旅で中央銀行(オーストリア国立銀行)を訪ねて、換金してもらうことに決めていました。
こちらの宿題は完遂。
観光で国立銀行に立ち寄る人もあまりいないとは思いますが。
そしてウィーン最後の夜はフォルクス劇場のオペラ「魔笛」で締めくくり。
日本でネット予約していましたが、2人で6000円弱。
席を選ばなければ、非常に安くオペラ鑑賞ができます。
ちょっとだけウトウトしてしまった……
オペラ終演後は夜遅く、営業している店があまりないので、ちょっとお高めのディナーとなりました。
最後の夜だからまあいいか。
帰りの便は滞りなく、ウィーンからモスクワ経由で帰国することができました。
これにて新婚旅行記は完結。
ちょうど10年前の旅を、記録の意味もあって書きました。
一生に一度のことだからとよくばりすぎて、日程も長く予定も詰めすぎたせいか、最後はしばらく長旅はしたくないと思うほどだったのも事実です。
あちこちでケンカもしましたし。
それでも貴重な体験ばかりで、一生の思い出にもなりました。
また別の旅についても書けたらと思います。
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